背中を押す

仙台経営研究会にてITセミナーを開催させていただきました。

昨年の10月にも開催し、今回で2回目という事で続編として内容一新で臨みました。

その間、東北地方の大震災が発生し、大変心配していましたが6月から活動を再開するということでお声掛け頂いたのですが、「そんな大事なタイミングで私で良いんですか??」と何度も確認させて頂きましたところ、「活動再開1発目は高畑さんで!」という藤原会長、小野寺前会長の言葉に背中を押されて、僭越ながら講師をお引き受けいたしました!!

空港に着くなり、積みあがった瓦礫や流された車の山、大破した住宅を目の当たりにし、現実の凄まじさに圧倒されてしまいました。

複雑な想いを抱きながらも、準備してきたことをする以外にないと心に決めてセミナーをスタートしました。

すると途中、震度4の地震が発生。会場は一時騒然となりましたが、「続けましょう!」との会場の声で何とか最後まで務めることができました。


嬉しかったことは、お越しになられた複数の方から「前回のセミナーを聞いて、○○を導入しました!」「背中を押していただいて○○を始めました!」という声を多数いただいたことです。

こういう声を聞くと、大変だった準備や構想の時間が一気に報われる想いです。

その後の懇親会でも、質疑応答や感想発表なども大いに盛り上がり、私が元気をいただくことができました。


また翌日は、被害の大きかった石巻市や女川町などを見て回りましたが、その被害の大きさ、瓦礫を撤去するトラックの大渋滞を見る限り、まだまだ大きな、また継続的な支援が必要なことをヒシヒシと感じました。


たくさんの事を感じた仙台でしたが、その中でふと気付いたことは、「人は皆お互いの背中を押しあって生きているんだな」ということです。

そして多くの人の背中を押している人は、同じように多くの人から背中を押されているんだということ。

人間は弱い。いや、私は弱い。

だからこそ人の力が必要だ。

たくさんの人の背中を押せるような人間になりたいと、今強く想います。


類は友を呼ぶ

類は友を呼ぶという。

似たような人同士は自然と集まってくるという諺のひとつ。確かにその通り、趣味や職種、社会的ポジションなど、様々な場面で似た者同士が集まっている。しかし、自分の周りを見渡してみると、それこそ千差万別で私と似たタイプの人なんてホンの一握りしかいない。もっと言えば、自分にない物を持っている人に強く惹かれる傾向の方が強い。

よくよく考えてみればここでの「類」は何を指しているのだろうか?もしこの「類」が、前述した趣味や職種、社会的ポジションを指しているのだとしたら、この諺は人生における教訓を何も言い当ててはいない。なぜなら「近所の人は集まりやすい」と言っているに過ぎないからである。そんな当たり前の現象をわざわざ教訓としても何の意味も持たないと思うのは私だけだろうか?

そこで、ここでの「類」はどうすれば教訓となりえるのだろうかと考えてみた。例えば「類」を「目的・目標」と捉えてみてはどうだろうか?

確かに似た者同士は集まりやすいが、それが「友」になるには同じ方向に歩もうとしなければならない。ここでの同じ方向に歩むとは、なりたい状態や姿が共通のものとして認識されている状態である。そうした想いが明確化されている組織には、同じ目標を目指す仲間が自ずと集まってくる。

これを会社で言うならば、ビジョンや理念といったものになる。理念やビジョンが共有化されれば、それが社風として会社の空気を創り上げ、ひいては商品サービスの質の向上に繋がるはずである。

リーダーはそれぞれに自分なりの目的や目標を持ってその座につく。ところがひとたび経営が始まれば日々押し寄せてくる仕事に忙殺され、いつしか何のために経営をしているのか解らなくなってしまうのである。

理念、ビジョン、目的、目標を明確に掲げ、並々ならぬ情熱を燃やし、それを継続していくことこそが、リーダーにとって重要な資質であり長たる者の責任であるかもしれない。

『理念・ビジョンは友を呼ぶ』。良い仲間と良い仕事をするために理念・ビジョンを掲げましょう。


見栄はいかんが意地は張れ!

先日、約半年に渡って参加させていただいた業績アップの研修が終了しました。

私はアドバイザーということで、受講生の方にあれこれとアドバイスしたりするお役目をいただいていたのですが、自分の事を棚に上げてお伝えをさせていただきました。

特に最終講は、組織のトップの方々へのアドバイスということで、普段より相当気を使いながら行ったのですが、その中の一節がタイトルの「見栄はいかんが意地は張れ!」です。

経営者にもなれば、良い時も悪い時も常になにがしかの問題を抱えているもので、その割に人から承認される機会もめっきり少なくなって、ついつい弱音のひとつも言いたくなる時があるものです。

しかしそんな時こそグッとこらえて、どんな困難な時でもニコッと笑って「大丈夫」と意地を張らなければいけないと私は思っています。

これは見栄ではなく意地です。


こんな考え方が生まれた根本は、高校野球部でなぜか唱和させられていた山本五十六の「男の修行」の影響はかなり大きいだろう。

「男の修行」
苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である


高校生ながら、「なんかかっこええなぁー」と思っていたのを思い出します。


今こそ意地っ張り復権の時(^^)。

泣き言いわずやったろうで!!