「努力に勝る天才なし」という格言がある。人生における努力の重要性はあえて語る必要もないほど多くの人に浸透している。しかし、「努力は天才を超えるか?」という問いに迷いなく「超える」と答える事ができるだろうか?私はこの問いに対して明確に「超えない」と答える。こんな事を言うとすぐに努力否定論者のように扱われ、努力信奉者から一斉攻撃を浴びることになる。

私は高校時代、野球の名門と言われた明徳義塾高校で甲子園を目指し、日夜厳しい練習に励んでいた。100名を超える部員の中にあって、レギュラーになれるのはほんの一握り、ベンチ入りでさえそう簡単ではない。その中にあって、他人と同じ事をしていては絶対に追いつけないと早朝、夜間の自主トレーニングを365日1日も欠かさず続けた結果、何とかベンチに入ることができた。その時の喜びは今も忘れられない。

しかし誰よりも努力をしたと自負する私と同じポジションに、甲子園で2本の本塁打を放ちヤクルトに入団した同級生がいたのだ。近づくどころか別次元の実力を目の当たりにし、自分の才能の無さに直面したのである。そんな彼も7年間のプロ野球生活で1軍昇格は1度だけ。現在は引退しプロ野球の審判として活躍している。

私なりにやりきった感はあったが、身近にいた非凡な友人でさえ遠く及ばない実力を持つ一流選手、その中でもトップクラスの実績を出すプレーヤーを天才と呼んでも差し支えないだろう。もちろんそうした選手の多くは、やはり多くの努力をしているだろう。才能ある人間が、努力をすることで初めて天才へと昇華する。

これが、努力は天才を超えないという根拠である。これを聞くと多くの人が「努力は別の所で役に立つ」「その過程で人間が大きくなる」「体験が人を育てる」と言った反駁をするのだが、それは議論のすり替えである。「努力は天才を超える」と論破できる人はこれまで誰一人としていなかった。

私は「努力は天才を超えない」という言葉には強烈な教訓があると思っている。それは、どうせするなら実る努力をしなければならないという事である。

努力は万能ではない。同時に、自らの強みや特徴に即した努力は、飛躍的に人を成長させる。そしてそのような「天職」に巡りあうこともまた才能なのかもしれない。


コメント&トラックバック

  1. phil ivey Reply

    コメント失礼致します。
    社長様のお考えを楽しく拝見させていただいております。
    現在自営業で来年会社を設立予定の32才男性です。
    実る努力、そして実らない努力という分別がありますが、そもそも実るとは何かという事をとても考えさせられました。
    当然捉え方というか、解釈論といった側面もあるかと思いました。
    実らせたか実らせようとしたか実らせれるのに実らせれていないか。
    何を言いたいかと申しますと、平易な言い回しになってしまいますが、してきた努力を全て良い方向へ向かうように、シンプルに悪かった努力は良くなるように良い努力はさらに良くなるように解釈するだけと捉えています。ですので実ったか否かの評価、チェックの方法が大切になってくるように感じました。
    そういった意味で社長様のおっしゃられるただ単純に努力するのではなく
    「実る」努力をすべきだということは改めて勉強させていただきました。

    「努力は天才を超えるか」
    仮に努力が天才を超えた時点で本人は努力と捉えていても,
    事を成し得ていない努力と天才を天秤にかけている大多数(全てではございません)が天才と捉えると思いますので答えはyes or noの二択ですと
    NOだと思いました。
    「解釈論なので人によって違う」という答えも結論に近いところまでいっているのではないかとも思いました。
    個人的には努力が天才を超えるというテーマはなかなか難解で、秤にかける事がどうなのか、かけれるものでないと言いますか、本当に難しいテーマでしたが、あえて勝手にチャレンジさせて頂きました。
    今後も拝読させていただきたく存じます。
    拙筆、なにとぞご容赦ください。

    • 高畑 欽哉 Reply

      コメントありがとうございました。物事には様々な捉え方があります。重要なのは、答えのない問いに対して自分なりの答えを出すこと、そこに至るまでのプロセスがどこまで自分の哲学や生き方と繋がっているかではないかと考えています。

      このブログが皆さまの考える機会になれば嬉しいです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です